不祥事の話
世の中,不祥事が明るみに出るたび,「またかぃ.偉い人ってぇのはとんでもないよな.
まじめに働いている俺たちがバカ見てるだけだぜ」と人の嘆息がそこここで聞かれる.
しかし,不祥事の定義を考えるにこれがどうも良くわからない.
おそらくは,なにがしかの決定権を持つ人にお金,もしくはそれに準ずる
ものを渡し,その決定権者の采配によって,特定のグループが他のグループを出し抜いて利潤を
得ることがいけないのだと思う.
あるいは,税金や公共放送の受信料が溜まったプールから,その使用について裁量権を持つ
人が自分あるいは近しい人にそれを渡したり,利益や歓楽のために使用するのがいけないのだろう.
このとき,公共性の高い団体に属する人ほど,規律が厳しい.
現役政治家に始まり,公務員,教職者,株式上場会社,と続いて末端辺りには,自営業者,
個人と続く.もちろん個人が自分のお金を何に使おうが構わない.ただし,その使用に
よって家族や社会が迷惑を受ける場合は問題だが,基本的に金の延棒を買ってたんすの奥に
しまってもそれは個人の自由である.
さて,ここであるお鮨屋さんがあったとしよう.週に少なくとも2度は
そこに通って5千円は必ず使う常連さんがいる.その常連さんがあるとき珍しくお昼にやってきて
上ちらしを注文した.忙しい中,板長さんは気前良くあさりの味噌汁をサービスに付けたとしよう.
たまたまその隣に座り,同じように上ちらしを注文した一元さんのあなたには,豆腐が3切れ入った
普通の味噌汁しかつかなかったとしたら,文句を言うだろうか.
これを不祥事と言う人はまずいない.しかし,不愉快とまでは行かないだろうが,
決して面白くはないはずである.これがお鮨屋さんではなく,郵便局の窓口だったらどうだろう.
あさりの味噌汁を出す郵便局はないが,お1人,1つまでの粗品を配っていることがある.
大枚の預金を郵便局に預け,子や孫にも良く贈り物を郵便で送っているおばあちゃんを,郵便局員が
チケットの順番を飛ばして先に窓口に招いたらこれはひいきと問題にされるかも知れない.
ところが,これが銀行だったら,堂々と罷り通っている.公的資金援助を受けても
お得意さんを優遇するのだから何が公的で何がそうでないかが曖昧模糊としているのだが,
郵政が民営化されたら郵便局でもお得意さんは優遇されるようになるのか興味深いところである.
不祥事の定義は法律ではっきり決まったものではなく,どうもその時代と世論に
応じて決められるようだ.昔の日本では,『贈り物』はもっと頻繁に行き来していたようだし,
その名残が今もお中元,お歳暮として生き残っている.先日ある公共性の高い組織に海外土産に
チョコレートを持って行って聞いたら,茶菓は受け取っても構わないそうである.
「ビーフジャーキーはどうですか」と尋ねたら,返事に困っておられた.それを試す機会もなく,
BSE騒ぎでアメリカの牛肉は輸入禁止になってしまった.
さて,以下は1971年に起こったアメリカ機械学会での不祥事である.
当時者を罰することよりも,組織をあげて同じ問題が起こらないよう組織の手順を
変えたことに敬服する.日本でも,責任者の特定に躍起になるのではなく,問題の再発防止に
もっと力を注ぎたいものである.
アメリカ機械学会の不祥事
1971年4月の事件である.当時アメリカ機械学会(ASME: American Society of Mechanical Engineers)は
発足してまもない任意団体であった.とはいえ,組織は大きく,アメリカ機械工業界の設計基準等独自に
定めていた.法律でその基準に従う義務はなかったものの,世の中ではその基準に従うことで安全設計の
指針としていた.そこで登場するのがマクドネル&ミラー社である.この会社は,ボイラー用安全装置の
製造販売を行っていたのだが,新進のハイドロレベル社の市場進出に頭を悩ませていた.当時はまだ
珍しい電子制御式の安全装置を売り出していたハイドロレベル社製品は,安定動作を確保するため,
安全装置作動の信号から実際の作動までに時間遅れを持っていた.すなわち誤作動防止の工夫であり,
これが人気を博していたのである.
さて,大手老舗のマクドネル&ミラー社は,ここで奸計を労することになる.
同社開発副社長のジョンが,実はASMEボイラー委員会員も兼任しており,同委員会委員長のトムを良く
知っていた.マクドネル&ミラー社役員が,トムをシカゴ,ドレークホテルでの晩餐に招待したのが
4月12日のことであった.
「なあトム,ボイラーの規格では,水位計の水位が落ちて見えなくなったら燃料供給を遮断することって
いう条文があるだろう.あれって考えてみたら“いつ”っていうタイミングのことが書いてないよなあ.」
「今手元にないからわからないけど,君がそう言うなら書いてないんだろう.」
ジョンは用意してきた書類をブリーフケースから取り出して広げた.
「ほら,ここのところだよ.」
「ああ,確かに書いてないね.」
「僕らとしたことが迂闊だったね.これじゃあ,燃料を遮断さえすれば1時間後でもいいってことになるよね.」
「ううむ,」1968年物のストーンゲート・カバネソビニョンを口に流し込み,彼にとってちょうどいいミディアム
加減に焼きあがった極上のフィレミニョンと噛み合わせるように咀嚼しながら,トムは天井を仰いだ.
「10秒以内かなあ.まあ,水位が見えなくなるっていう判断も人によっては数秒の違いがあるだろうからね.」
「そこなんだよ.だからね,規格としては“即座に"と書くべきなんだよ.水位が見える・見えないの判断が
ばらついた上に燃料遮断に時間遅れを許すと危険だと思わないかい.」
「でも,規格に言葉を書き足すのは大変だぞ.なぜ急にそんなことを言い出したんだ.探せば言葉抜けやあいまいな
表現なんていくらでも出てくるよ,」トムは最後の1切れを惜しむようにフォークで転がしながらジョンに質問を
投げかけた.
ジョンは営業副社長のジーンをチラッと見ると意を決して話し始めた,
「あの,ハイドロレベル社だよ.まったく機械式の方が絶対安全なのに,電子式のほうが安いし場所も取らないんだって.
このあいだもブルックリン・ガスの大型商談をもっていかれちまったんだ.ところが電子式だろう.オンかオフしか
ないんだよ.だから誤動作しないように低水位信号が出ても数秒の時間遅れを持たせているんだ.
それがどんなに危険か,客にいくら説明しても納得しないんだよ.あのバカどもにわからせるには規格の条文を変える
しかないなと思ったわけさ.」
「はは,なんだよトム,そんなことだったのか.条文の変更を起案すると,委員の3分の2の同意が必要なんだぜ.
それこそ君らの魂胆が丸見えで反ってマイナスだろう.僕がASMEの名前で手紙を書いてあげるよ.つまり,
条文は“即座に"と解釈するのがASMEの立場だとすればいいんだろう.」トムは最後のフィレミニョンを
うまそうに飲み込んだ.
マクドネル&ミラー社の思惑は見事に的中,ASMEの手紙を持って客先をまわり,ハイドロレベル社の
安全装置が規格に合わない危険なものであると説得,市場奪還を果たす.ユーザである電力会社は,ASMEの安全基準を
満たすことで安全イメージを保っていたのだから当然だ.しかし,4年後に大きな逆転劇が起こる.
倒産に追い込まれたハイドロレベル社がマクドネル&ミラー社とASMEを独占禁止法違反で提訴,
最高裁までもつれこんだ末,ASMEは有罪,当時の為替レートでおよそ10億円の賠償を支払わされた.
着目すべきはこの判決後のASMEの行動である.つまり,個人が団体名で規格に関する解釈の
公的文書を書けることが問題だとし,規格の質問に対する公的解答は最低5人の合意を必要とすることになった.
また,倫理基準のガイドラインが作成され,委員として活動する時は,そのガイドラインに沿う誓約書に署名をする.
そしてこのしくみ自体が2年毎に見直される.
この事件に私たちが学ばなければならないことは多い.大事なことは一番根元の原因を見極め,問題があればその原因を
取り除く努力を行うことだろう.ちなみにジョンやトムは,この裁判で個人的責任を問われたわけではなかった.
僕は子供のころ,おばあちゃんといっしょに痛快時代劇を良く見た.最後には悪者が罰せられ,一件落着となっていた.
そうではなく,悪者を罰することより悪意を持った人が悪事をはたらくことを可能にする社会の仕組みを正すことの
方が先決だと大人になって初めて気が付いた.
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(いいの・けんじ) |
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