ベンツAクラスは1997年10月に販売を開始されたベンツ社の大衆向け小型車で、コンパクトだが広い室内空間、そしてより大きい車との衝突の際の安全性を考慮して創られたものである。販売開始後にスウェーデンで起きたテスト走行中の横転事故で大きく躓いたものの、その結果を基に安定性は改良され、大きな売上を上げることになった。 【事例発生日】1997年11月 【総括(事件概要)】 Aクラスは発売間もなく、北欧で行われた自動車雑誌テスト、エルクテスト(エルク(鹿の一種)が道路に飛び出し、それを避けるという設定の高速レーンチェンジテスト)によって安定性が疑問視された。時速60Kmで直進中に急激にハンドルを切り直進から進路を平行移動、そこから再び急激なハンドル操作により元のレーンに戻る、という一連の動作の際に車体が持ち上がりそのまま転倒したのである。 (上図:一例・Sydrose提供) |
【背景】 Aクラスは安全性と広い車内空間を追及するがゆえに車高が高くなっている。この設計理由の一つが衝突安全コンセプトである。大きさ、重量が異なる車同士の衝突において、強者からの衝突エネルギーの吸収効率を高めることによって弱者の安全性を確保するという発想である。小型のAクラスはエンジン、トランスミッション、駆動軸を人間が乗る空間より低い位置に配置することによって、衝突の際これらが人間の乗車空間の下を滑り衝撃を吸収する。確かに衝突時の安全性は高くなったが、人の乗車位置より下にこのようなスペースを確保することにより必然的に車高も上がる。また限られた幅と長さの中で有効な室内空間を得る為に車形も縦に長く創られた。 この2点からAクラスは車高が高く、つまり重心高となり、エルクテスト中の転倒を引き起こす要素の一つとなったのである。 |
【経過】 スウェーデンでは大きな鹿が道路に飛び出してくるということは珍しいことではないので、この突然飛び出して来る鹿との接触を対抗車線へ避け再び元の車線に戻るということを想定してテストが行われる。このエルクテストにおいてAクラスを運転していたスウェーデン雑誌社のテストドライバーは、時速60kmで右車線を走行中ダミーの鹿を避けようと急激にハンドル左に切った。すると左側のタイヤが浮き上がり、右タイヤのリムを地面にこするとそのまま転倒した。 |
【原因】 Aクラスの横転は多様な原因が重なって起きた事故であるが、その原因の一つに重心高がある。 Aクラスは車高が高く作られているために重心の位置も高くなる。無乗員でガソリン満タン状態の重心高 は581mmであり、乗員の座る位置が高いため乗員が増えると重心高はさらに高くなる。テスト走行中に は5人の乗員が乗っておりその重心高は640mmであったと言われている。 重心が高くなると遠心力に対する耐性は弱くなる。つまり車に横から力が働いた際に、重心の低い車と比 べると踏ん張りが利かず転びやすいのである。 またAクラスには重心高に関連して横転を引き起こした原因に、オーバーステアになり易いという傾向がある。オー バーステアとは車が曲がる際に後輪が滑り、ハンドルを切った以上に車が曲がってしまうことである。Aクラスは操 縦性を上げるためにこのオーバーステアを引き起こしやすい構造になっていた。つまり左右へのターンは軽快で遠 心力は簡単に生まれるが、重心が高い為その際に生じる横向きの力に耐えることができなかったのである。 オーバーステアになりやすい原因には細いタイヤ、そして狭いトレッド(車を上から見た際、左右のタイヤの中心か ら中心までの距離)などがあげられる。タイヤのサイズが細ければ細いほど、そしてトレッドが狭ければ狭いほど小 回りは利くが、横へ力がかかった時の踏ん張りは弱くなる。 つまりAクラスは特に重心が高い上、さらに高い操縦性を加えたため安定性を欠いたということである。 (上図:一例・Sydrose提供) |
【対策】 転倒事件後、メルセデス社はAクラスを若干低重心化した。さらにESPの装備、タイヤのワイド化、そしてトレッドの拡大という対処を施した。ESPとは、車が曲がる際に、タイヤの横滑りなどによって本体の軌跡から車体がずれてしまうような場合、4輪個別にブレーキをかけたり、強制的にエンジン出力を下げたりして車体の動きを安定させ、本来の軌跡を保持させるというシステムである。このESPの装備により車の横滑りは防止され、つまりオーバーステアという挙動が出にくくなった。 トレッドの拡大、タイヤのワイド化もオーバーステアが出にくくなるという点において十分な力を発揮した。 これらの改良の結果、Aクラスはエルクテストをパスし市場において大きな人気を獲得するに至ったのである。 |
【知識化】 Aクラスはその重心高とオーバーステアになりやすいという傾向から転倒することとなった。重心が高くなった理由は「背景」で述べた。ではなぜオーバーステアが出やすい設計になったのだろうか。その大きな理由に操縦性があると思われる。つまりAクラスは乗り心地とスポーティなハンドリングを追及したがゆえにオーバーステアが出やすく、安定性を著しく欠く車となったのである。 安全で乗り心地の良い車というのは安定性能と運動性能の両方を兼ね備えた車のことである。操縦性を上げるためには安定性を下げる必要が出てくる。つまり曲がりやすい車ほどコーナーでの安定性は乏しくなるわけである。Aクラスの場合、重心高で操縦性も失わないように設計された為、横転するという事態を引き起こしたのである。 テスト以降、Aクラスの安定性は向上した。これにより操縦性と乗り心地は多少損なわれたものの安定性は飛躍的に向上した。転倒事故の結果、物理的に反する安定性と操縦性をより高いレベルでバランスさせることができたのである。 |
【情報源】
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