失敗百選
〜単位系の取り間違いで火星探査機が行方不明〜

【動機】
本事例は、NASA*1によって打ち上げられた火星探査機の失敗事故により全面的に浮かび上がった、当局の 「Faster, Better, Cheaper」哲学に基づく体質が問題となった事例である。
【事例発生日付】
Mars Climate Orbiter:1999年9月23日午前1時55分頃
[太平洋夏時間]
Mars Polar Lander:1999年12月3日正午頃[太平洋時間]

【事例発生地】火星

【発生場所】European Space Agency宇宙センターの上空約3700m

【死者数】0

【負傷者数】0

【物的被害】Mars Climate OrbiterとMars Polar Lander、各1機。

(図:アメリカ合衆国、フロリダ州、Cape Canaveral Air Stationからボーイング社製の Delta II expendable 打上げロケットによって、打ち上げられるNASAの Mars Polar Lander。http://mars.jpl.nasa.gov より)

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【原因】
火星の周囲軌道投入に失敗したMars Climate Orbiterの原因は、非常に単純なミスからだった。そもそも、Mars Climate Orbiterはコロラド州DenverにあるLockheed-Martin Astronautics社によって製作され、NASAによって打ち上げられた 探査機で、打ち上げ後は、カリフォルニア州PasadenaにあるJet Propulsion Laboratory*4 のMission Navigation Teamにより追跡データの分析が行われ、火星への軌道修正が決定されていた。

そして、その軌道修正の決定に基づきLockheed-Martin Astronautics社のMars Climate Orbiter Spacecraft Teamがエンジン噴射推力の計算を行い、依頼元であるMission Navigation Teamに送り返すという手順がとられていた。 問題になったミスは、この双方が計算に使用した重量単位の取り違えから発生した。当時、エンジンの噴射推力計算 を行っていたMars Climate Orbiter Spacecraft Teamは、同計算の単位にEnglish Units(ヤード・ポンド法) を使用してMission Navigation Teamに提出していたが、受け取り側のMission Navigation TeamはそれをMetric Units(メートル法)として受け取っていた。そして、双方は同探査機打上げから事故発生までの9ヶ月間、このような深刻なミスに全く気づくことはかなかった。

English Units(ヤード・ポンド法)において重量の1ポンドは、Metric Units(メートル法)にすると 約4.45ニュートンに相当する。この重量単位の取り違えから生じた計算の誤差より、Mars Climate Orbiterは火星周囲軌道に突入の際に、予定より大幅に高度(火星表面からの高度)が下ってしまったと推測されている。また軌道突入以前に、Mission Navigation TeamではMars Climate Orbiterから周囲軌道への突入高度が低すぎるという危険信号が受信されていたが、単位の取り違えに全く気づいていなかったMission Navigation Teamは「大丈夫」と判断して対策をとらなかった。

火星の軟着陸に失敗したMars Polar Landerの原因も、やはり非常に単純なミスからだった。 それは、同探査機の着陸脚に備え付けられていた着陸用センサーの誤作動によるもので、 同探査機が着陸に備えて着陸脚を下ろした際に、軟着陸用エンジンが停止したことで火星表面に墜落したと見られている。 Mars Polar Landerのミッション失敗後に行われた調査では、誤作動を起こしたと見られている着陸脚の 着陸用センサーの作動試験が実際に行われ、その結果から着陸センサーは約6割の割合で誤作動を起こすことが判明した。 しかし、Mars Polar Landerのミッションではそれを機打ち上げ前に発見出来なかった。Mars Polar Landerミッションが失敗した根本的な原因は、着陸脚の展開動作試験を行っていたチームが着陸センサーの誤作動を 発見出来なかったこと、更に、その後別のチームによって行われた、着陸脚展開後の動作試験においても前者のミス が発見出来なかったという度重なるミスによるものだった。

1975年から1976年にNASAによって打ち上げられ成功を収めた、火星探査機Viking*5の軟着陸機は、レーダーを使用して 地表から3mから4mの位置に達したことが感知されると着陸用エンジンの噴射を停止する設計がされていたが、Mars Polar Landerにおいては、着陸脚に備え付けられていた着陸用センサーのみで探査機の接地を感知するという単純な構造が選択されていたことも失敗要因の1つと推測されている。

このような単純なミスが重なり失敗に終わったMars Climate OrbiterミッションとMars Polar Landerミッションの背景には、Dan Goldin 氏がNASAの長官に就任して以来進めてきた、「Faster, Better, Cheaper」(早く、良く、安く)の哲学に基づく体質が大きく関わっている。それは、「Faster, Better, Cheaper」の哲学の中で、FasterとCheaperが強調されすぎ、同ミッションにおいては十分な準備が整っていなかった中で「Mars Surveyor '98 Science」ミッションが遂行された。そして、その事実はNASAの宇宙科学次官であるEd Weiler氏も認めるものであった。「Too many corners were cut」(あまりにも多くのことが省略されてしまっている。)とMars Program Independent Assessment チームメンバーの18人は言う。そして、Lockheed-Martin Astronautics社の元重役でありMars Program Independent Assessment チームリーダーであったThomas Young氏は、「Mars Surveyor '98 Science」ミッションの失敗に対して次のようなレポートをまとめた。
  • Mars Climate OrbiterとMars Polar Landerのミッションは 約30%の資金不足であった。
  • Mars Climate OrbiterとMars Polar Landerのミッションは、有能ではあったが経験不足の管理者の下で行われていた。
  • NASA、Jet Propulsion Laboratory、そしてLockheed Martin Astronautics 社の管理者は、同ミッションにおいての管理に失敗していた。
  • Mars Polar Landerが火星の大気圏に突入してから着陸までの一環の過程を地球より遠隔操作(又は観察) することができない設計は、最大の過ちであった。
  • Mars Polar Landerに搭載されていた、マイクロ・プローブの設計や事前に行われた試験や準備は非常に粗末なもので、 実行されるべきではなかった。
そして、Young氏は、同ミッションにおいては、時間、人手、そして資金の全てが不十分だったと付け加えた。 それはNASAの哲学、「Faster, Better, Cheaper」(早く、良く、安く)が招いた結果であった。

(図:Mars Climate Orbiterに搭載されていたMars Color Imagerにより撮影された、最小で最後となった火星の映像。http://mars.jpl.nasa.gov より)

【背景】
ここアメリカでは、一般にEnglish Units(ヤード・ポンド法)が使用されている。現在、世界的にMetric Units(メートル法)の使用率が多く、エンジニアリングの国際化などが要求され中で、アメリカがEnglish Units(ヤード・ポンド法)を使用し続ける背景には、「感覚」が上げられる。それは、使い慣れた単位、つまり、その数字から実物の大きさ等を直感的に想像することが出来るものである。例えば、長さ1mを示す場合、Metric Unitsを使い慣れている人であれば、その長さは簡単に示すことが出来る。しかし、English Unitsに使い慣れている人がそれを示すには、単位の計算が必要になる。更に、数字が二乗(面積など)、三乗(容積など)といった複雑な単位を考えると、エンジニアを始めとした人々が、それぞれの使い慣れた単位に執着する理由が分かる。
【対策】
Mars Climate OrbiterとMars Polar Landerの失敗でNASA の信頼は大きく失われていた。しかし、その後2001年4月7日にNASAよって打ち上げられた火星探査機、Mars Odysseyは 2001 年 10 月 23 日夜[太平洋時間]に火星周回軌道への投入に成功している。同探査機はMars Climate Orbiterと同く、火星の周囲軌道を周回しながら調査を行う探査機であり、Mars Climate Orbiterの失敗より得た教訓をいかし行われたミッションであった。Mars Odysseyミッションでは、事前に試験が繰り返し行われ、およそ3億ドルの予算を費やし、NASAが万全の対策で遂行したミッションであった。
【知識化】
宇宙探査において、完成度の高いミッションを計画し遂行するには膨大な時間、人手、資金が必要である。しかし近年NASAでは、「Faster, Better, Cheaper」(早く、良く、安く)の哲学に基づき計画を進行させる傾向にあり、その結果としてMars Climate OrbiterとMars Polar Landerが失敗に終わっている。約25年も前に、火星探査機Vikingが成功を収めることが出来たのは、綿密な検討作業と度重なる試験によるもので、時間、人手、資金が投入された結果なのである。その成功から25年、技術は確実に進歩を遂げている中での同ミッションの失敗はNASAの根本的な体質に疑問が残る。そして、この事例は、いかなる最新技術を使用したミッションでも、綿密な検討作業や十分な試験なしでの成功はあり得ないということを示している。
【情報源】
  • http://mars.jpl.nasa.gov
  • ftp://www2.jpl.nasa.gov
  • http://mpfwww.jpl.nasa.gov
  • http://photojournal.jpl.nasa.gov/cgi-bin/pia.digital.pl
  • http://www.planetary.or.jp
  • http://www.astroarts.co.jp
  • http://plaza27.mbn.or.jp
*1 NASA(National Aeronautics and Space Administration)−アメリカ航空宇宙局

*4 Jet Propulsion Laboratory−ジェット推進研究所

*5 火星探査機Viking−「火星探査機バイキング1号と2号のペア・ミッションのことである。探査機はいずれも、 オービター(軌道周回機)とランダー(着陸機)で構成されていた。1975年6月19日、火星の軌道に到着したバイキ ング1号のオービターは、軌道を周回しながら地表を撮影して画像を地球に送ってきた。この画像に基づいて着 陸地点が決定された。7月20日、オービターから切り離されたランダーは、火星の北緯22.48度、西経47.97度の クリュセ平原に着陸した。バイキング2号は、8月7日に火星の周回軌道に到着した。9月3日、バイキング2号のラ ンダーは、北緯47.97度、西経225.74度のユートピア平原に着陸した。」 (日本惑星協会より−http://www.planetary.or.jp/know_viking.htmlからの引用)