失敗百選
〜米国機械学会が民間企業と共謀して規格設定〜

【動機】
本事例は、直接事故や故障が起こったものではないが、機械に関する事例を検索しているうちに見つけた 興味深い事件である。これから、"失敗"について文章、分析結果、見解、シナリオ解析等、公にする前提 で活動している失敗活用研究会に対し、それに関わる技術者や事務局も含め、各人の自覚、社会的責任を 改めて認識する機会となろう。即ち、人間が作った法律や決まりは不完全なものであり、不備な点がある。 私たちは、それに気付くよう常に目を光らせなければならないし、気付いたときには、良識に従った行動 を取るべきである。規則だからといって盲従していては、不備な決まりの網の目から抜け落ちる良識に反 する行為を是認してしまう。そしてこういった行為は許されるものではない。
【事例発生日付】1971年4月12日

【事例発生地】アメリカ、シカゴ

【発生場所】シカゴでの夕食会

ボイラー用安全装置を扱うマクドネル&ミラー社の営業副社長と開発副社長が、ASME(米国機械学会)ボイラー及び圧力容器委員会副委員長と共謀。競合するハイドロレベル社の安全装置が関連するASMEの規格を満たしていないよう解釈できる手紙をASMEの名前で出した。このためハイドロレベル社は大きく市場から後退、倒産に追い込まれた。しかしその後、ハイドロレベル社は、ASME、マクドネル&ミラー社、ASME(米国機械学会)ボイラー及び圧力容器委員会副委員長が勤めるハートフォード蒸気ボイラー検査・保険会社を独占禁止法違反で訴え、最高裁まで進んだASME以外とは和解、ASMEには勝訴した。
この事件は、ASMEが強い経済的影響力を有する公的団体でありながら、規格設定団体の担当役職者が、個人的利益のためにASMEの名前で手紙を書けることを露呈。米国のあらゆる規格及び基準設定の概念を大きく変えた事件である。

(上図:黄色の部分がシカゴのあるイリノイ州)

【詳細 - 事象】
ボイラー用安全装置を扱うマクドネル&ミラー社営業副社長Eugene Mitchellは競合、ハイドロレベル社の安全装置の市場伸長に脅威を抱いていた。そこで同社開発副社長のJohn Jamesに、ASMEのボイラー及び圧力容器規格の条文をある特定の解釈をすることはできないだろうかと持ちかけた。 その条文とは、

自動着火式の過熱蒸気、もしくは蒸気ボイラーでは、水位計の可視範囲以下に水位が落ちると自動的に燃料供給を 遮断する仕組みを持たなければならない。

(Each automatically fired steam or vapor system boiler shall have an automatic low-water fuel cutoff, so located as to automatically cut off the fuel supply when the surface of the water falls to the lowest visible part of the water-gauge glass)

ハイドロレベル社は当時、その電子式燃料遮断器に、安定制御のため時間遅れを持たせており、ブルックリンガス 会社など大型商談で採用されていた。そこで、MitchellとJamesは、この条文を、"即座に" 遮断しなければならない、と解釈することで、ハイドロレベル社の遮断器はASME規格外の危険な製品であるとした かったわけである。

ところが当時、James は、ASMEボイラー及び圧力容器委員会員も兼任しており、この話を同委員会委員長のT.R. Hardinに持ちかけることを提案、4月12日、シカゴ、ドレークホテルでの夕食会の話題となった(もともと違うこと を話し合う予定だった)。夕食の席上、Hardinはマクドネル&ミラー社の主張に合意した。数日後、James が ASME宛ての質問書を草稿したのちそれをHardinに見せ、Hardinはその手紙を校正して、マクドネル&ミラー社から の質問書としてボイラー及び圧力容器規格委員会秘書のW. Bradford Hoytに送った。

Hoytの元には毎年何千もの質問状が寄せられ、マクドネル&ミラー社からの質問書は専門家の判断を要するので自然、 委員長のHardinに回された。Hardinは、これに対する回答を委員会にかけず、独自に書き上げた。当時、委員長であ った彼は "非公式見解"としてそのような回答を行う権限を持っていたのである。

4月29日付けのこの手紙は、ハイドロレベル社製品を危険と明言はしていなかったが、燃料遮断は即座になされなけれ ばならないと結論付けていた。マクドネル&ミラー社は、Millerの指示で同手紙を自社営業部門に回し、ハイドロレ ベル社製品がASME規格にそぐわない危険な製品であると市場を説得するのに利用した。

1972年にハイドロレベル社は、ASME名の手紙の存在を聞きつけ、ASMEに正式文書を要求、そしてASME見解の審査を 要請した。このとき、James はASMEボイラー及び圧力容器規格委員長に就任していたが、審査に不参加、しかし、ハイドロレベル社への回答の 編集に加わった。

その後、大きく市場から後退、倒産に追い込まれたハイドロレベル社は1975年、ASME、マクドネル&ミラー社、ハ ートフォード蒸気ボイラー検査・保険会社(Hardinが副社長) を相手に独占禁止法違反で訴訟を起こした。 マクドネル&ミラー社とハートフォード社とはそれぞれ、$750,000 と$75,000で和解したが、ASMEは、ボランティアで構成要員となっている個人の問題に対し、団体としてはなんら 責任はないとして最高裁まで持ち込んだ。ASMEにはさらに、和解しては他に同様の訴訟を起こすものが後をたたな くなるとの考えもあった。

最高裁では 6-3 でASMEを有罪と認め、弁護士費用等調整後、額は$4,750,000となった。その判決理由は:

独自の規格を決めているとはいえ、ASMEが社会、経済に及ぼす影響は多大である。それは、政府外団体ではあるが、州対州間の商取引の規則を決めていると行っても過言ではない。この団体がその構成役員に自団体を代表する権限を与えるのは、その個人に市場を左右する権限を与えていることになる。
【詳細 - 主な登場人物】

Eugene Mitchell: マクドネル&ミラー社営業副社長。競合ハイドロレベル社の安全装置がASME規格に合わない、という戦略を考え、実行。
John James: マクドネル&ミラー社開発副社長。Mitchell に相談をもち掛けられ、Hardinと話を進めるよう提案。当時ASMEボイラー及び圧力容器委員会メンバー、後に同委員会長在職中にハイドロレベル社から正式審査を要求され、それに対する回答編集に加わった。
T.R. Hardin: ASMEボイラー及び圧力容器委員会委員長、及びハートフォード蒸気ボイラー検査・保険会社副社長。マクドネル&ミラー社質問書を校正、それに対する回答を書いた。
【詳細 - 経緯】

1971年: Mitchellが、競合ハイドロレベル社製品の時間遅れがASME規格に合わないのではないかと James にそうだん、JamesはHardin に話を持ちかけるよう提案
1971年 4月12日: シカゴで三者が夕食をともにし、合意。 James が質問書を草稿、Hardinが校正を加えたものを、マクドネル&ミラー社がASMEに提出。
1971年 4月29日: Hardinが非公式文書として自分の回答書をマクドネル&ミラー社に返す。そこには、遮断は即座に行われなければいけないと書いた。 マクドネル&ミラー社はASME名の手紙を営業に利用、ハイドロレベル社製品が危険であるとのイメージを作った。
1972年: ハイドロレベル社がASME名の手紙の存在を知る。ASMEの正式な手紙・審査を要求。ASMEは委員会にかけて対応、回答の用意には James が関与。
1975年: ハイドロレベル社がASME、マクドネル&ミラー社、ハートフォード蒸気ボイラー検査・保険会社を独禁法で訴訟。
1982年5月17日: 最高裁まで持ち込まれた ASME 分の判決が 6-3 で決着、ASME敗訴。
【背景】
ASMEは機械工学のあらゆる分野から9万人の会員を有する非営利の団体であり、工学及び産業に関わる規格を公刊 しており、規格は助言的性格のものであるが、強い経済的影響を有する。その公的機関であるASMEの規則が不備であった。 事件当時、ASMEはボランティアを含む会員からなる委員会及び小委員会を運営していたが、会員の行動基準が明確にされ ておらず、個人の主観で規格の発案や変更がされ易くなっていた。また、今件に似た規格に関する問い合わせは、毎年何 千通もASMEに送られて来ており、担当者が手に負えない運営事情などもあり、厳粛な運営体制が整っていなかったことで、 私的行動が取り易くなっていた。
【対策】
この事件後、ASMEで規格の取り扱いが以下のように変更された。規格の質問に対し、返答が出される前に最低5人 の担当員が確認する(以前は2人だった)。質問と返答は、ASMEの公開月間刊行物で発表される(以前は質問者と 質問に携わった委員会の間のみで行われていた)。そしてASMEは規格の返答に使用される便箋に否認を表明する陳 述を印刷することになり、規格が変更される際には新たな情報が必要で、個人は不当であると感じた返答に対して 公正な判断を求める権利ができた。利害の衝突においては、ASMEのボランティアを含むすべての会員は、起こりう る利害の衝突に対して定義の明確なガイドラインに沿って対処すると言う誓約書にサインすることになり、行動基 準の法的影響を述べている刊行物により倫理上の工学基準がすべての会員に提供される。また、協議会、委員会、 小委員会にそれぞれ、公共利益と費用有効性における基準をもとに2年ごとに運営の見直しをすることを義務付けた。
【知識化】
会社のためと思った行動が、大きな視野で見ると反社会的行為であるとき、結局会社のためにはならない。 規則は重要であるが、不備なこともある。規則への盲従は社会に損害をもたらすこともあり、規則内の行動が後から罰せられることもある。間違った規則は改正されるべき.
【情報源】
  • http://ethics.tamu.edu/ethics/asme/asme1.htm