【事例発生日付】1999年3月24日 【事例発生場所】フランスとイタリア国境モンブラン自動車トンネル内 【事例概要】 フランスとイタリアの国境モンブラン自動車トンネルで、イタリアに向っていた食料運搬トラックの燃料が漏れ出火し爆発 した。フランス側の監視装置は事故トラックがトンネルに入った直後に煙を検知していたが、警報が鳴った後に直ちにトン ネルを閉鎖しなかった。そのため、フランスに向かうトラック8台と、イタリアに向かうトラック12台、乗用車10〜11台に 延焼した。39名の死者と27名の負傷者を出した。 【事象】 フランスとイタリアの国境モンブラン自動車トンネルで、イタリアに向っていた食料運搬トラックの燃料が漏れ出火し爆発 した。フランスに向かうトラック8台と、イタリアに向かうトラック12台、乗用車10〜11台に延焼した。39名の死者と27名 の負傷者を出した。 |
【経過】 1998年、フランスのHaute-Savoie地方消防局は、トンネルの安全性について、1)排煙システムが 不十分、2)火災が入口から遠い所で発生した場合、車両が道路を塞ぐと救助が大変困難――と指摘していたが、フランス 政府はこの批判を受け付けなかった。 1999年3月24日10:53、イタリアに向かっていた食品運搬トラック(ベルギー籍、小麦粉 12トン、マーガリン8トン積載)の燃料が漏れ出火。トラック運転手(57)は、「複数の対向車がライトを何度も点滅さ せていたので、バックミラーを見ると後ろから煙が出ていた。」とし、そこで、指示灯を点滅させながら速度を落としト ンネル内で停車した。 フランス側の監視装置は事故トラックがトンネルに入った直後に煙を検知していたが、警報が鳴った後に直ちにトンネル を閉鎖しなかった。 トラック運転手は、消火器を取り出し煙の出ている車の下をチェックしたが、すでにキャビンの下から出火し大量の煙で 呼吸できないほどだった。消火器を使う間もなく爆発。 トンネルの換気は中央部から半分ずつフランスとイタリアが分担しており、フランス側は、火災発生の3分後に換気装置 を最大排気レベルにしたが、イタリア側は20分以上、排気ではなく給気レベルを最大にしていた。 フランスに向かうトラック8台と、イタリアに向かうトラック12台、乗用車10〜11台に延焼(3月26日 ATMB発表)。強 い熱でトラックの塗料がはがれ、タイヤが破裂。現場は1000℃程に上昇、トンネルの天井・壁の一部は砂のようになり落 下、アスファルト溶融。 ドライバーやトンネル作業員を救助中、イタリア側から吹く風で有毒ガスがフランス側に流れ、消防士27人が煙を吸い込 み軽いガス中毒。フランス人消防士1人(54)が心臓発作で死亡した。 |
【原因】 直接の原因は食品運搬トラックの燃料が漏れて出火したことである。被害が拡大した要因として、フランス側の監視装置 は事故トラックがトンネルに入った直後に煙を検知していたのに、警報が鳴った後、直ちにトンネルを閉鎖しなかったこと。 フランス側は、火災発生の3分後に換気装置を最大排気レベルにしたが、イタリア側は20分以上、排気ではなく給気レベルを 最大にしていたことで火災に悪い影響を与えたこと、などがあげられる。 また、1998年のフランスのHaute-Savoie地方消防局の、トンネルの安全性に関する指摘、1)排煙システムが不十分、2) 火災が入口から遠い所で発生した場合、車両が道路を塞ぐと救助が大変困難――をフランス政府が無視したことも、大き な要因である。 |
【対処】 3月24日〜26日、フランス・イタリア両方向から救助活動が進められ、フランス、イタリア、スイスの消防士約100人 が従事した。 放置された車両が救助隊の進行を阻害。モンブラン・トンネルには救助隊がトンネルのどこへでもすばやく行ける並行 通路がなかった。 換気装置が有毒ガスを排気できず、熱と煙のため、消防士達が現場に到着できたのは3日後であった。 3月26日午後(14:16報道)、消防士現場到着、鎮火。遺体はほとんど灰になっていた。トンネル内部は依然高温のため 焼けた壁を放水冷却した。 |
【対策】 7月8日、フランスとイタリアによる調査報告書発表。両国の緊急時対応活動の分担とともに管理機関の一本化(先に情報 を受けた方が緊急対策の指揮をとる)、安全管理用コンピューターシステムの導入、換気システムや避難設備の増強など 41項目を勧告。両国政府はこれを受け2000年の開通を目指してトンネルを改修、トンネルを統一的に管理する政府間保安 委員会を設立。 2001年12月15日、復旧工事終了。最新式の消火装置、換気システムや退避トンネル、温度計測器などを設置。交通状況な どをモニターで随時監視。費用$265 million。2002年3月9日、開通。 |
【背景】 モンブラン・トンネルは、ヨーロッパ最高峰モンブラン(標高4,807m)の下、フランスとイタリアを結ぶ全長11.6kmの 有料トンネル。フランス側入口はスキーリゾート地 Les Houches(標高1,274m)、イタリア側入口はリゾート地Courmayeur(標高1,382m)。 1959年1月にイタリア側、1960年6月にフランス側着工。1962年8月14日、トンネル貫通。1965年7月16日、開通。総工費1億フラン。モンブラン・トンネルの開通により、冬に雪で通れなくなる峠越えの道路を迂回することができ、パリ‐ローマ間が150km短縮された。開通当時は世界最長であった。 トンネルの高さ6m、幅8m、片道1車線(幅3.5m)が2本で、片側に歩道(幅80cm)が付いている。年間750,000〜800,000台のトラックが通過。1日通過車両約4,000台、うちトラック約2,000台。フランスとイタリアの会社の共同体Mont Blanc Tunnel and Autoroute(ATMB)が運営していた。 道路の下に高さ3.35mの通路があり、コンクリート製の8本の送風ダクトと2本の排気ダクトが走っている。両出口には出力3000/kWの換気設備がある。 トンネル両側に指令調整所があり、等間隔に置かれた9箇所の監視装置により炭酸ガス濃度や空気の視程をモニタリングしている。またレーダーでトンネル内の車両の台数や位置、速度が分かるようになっている。ビデオカメラ40台設置。 トンネルの非常設備としては、600mおき18ヶ所に換気設備付き耐火シェルター(35m2,45人収容)があり、高熱に2時間耐えられる。300mおきに緊急連絡用電話のある待避用パーキング場がある。100mおきに消火器1個ずつ設置してあった。 |
【知識化】 @ 事故が発生したあとの対応には指揮系統の1本化が不可欠である。 A 普段の訓練が万一の場合の被害を小さくする有効な手段である。 B 事故が起きる前の警告はなかなか守られない。特に費用が必要な場合。 C 共同体によるシステム運営は、連携体制がおろそかになりやすい。 |
【総括】 トンネル火災は、日本においても1972年の北陸トンネル火災、1979年7月の日本坂トンネル火災、1996年11月の英仏海峡 トンネル火災などがある。トンネル火災は、閉鎖空間という逃げ場が判りにくい火災でしかもトンネル自体が煙突の働き をするので、その火災および煙拡散のスピードは想像以上に速い。トンネルは山などの地理的な要因で隔てられた都市間 を結ぶ交通施設として、今後も建設が続くと思われる。この事故に学ぶことは多い。 以上 |