失敗百選
〜三島駅で新幹線ドアに指をはさまれ、引きずられて死亡(1995)〜

【事例発生日付】1995年12月27日

【事例発生場所】静岡県三島市

【事例概要】
新幹線三島駅ホームで「こだま475号」に飛び乗ろうとした高校生がドアに左手の指を挟まれ抜けなくなった。 しかし、運転台の「戸閉め検知確認ランプ」が点灯したため、運転手はドアが閉まったと判断し車両が発車して しまい、その高校生は引きずられて死亡した。新幹線開業以来、初めての乗客死亡事故であった。

【事象】
新幹線三島駅ホームで「こだま475号」に飛び乗ろうとした高校生がドアに左手の指を挟まれているのにも拘わらず、車両が発車、高校生が引きずられて死亡した。
【経過】
東京都千代田区の私立高校の男子高校生(17)が、学習塾の冬期講習に出席した後、静岡県富士宮市の実家に帰るため 東京駅から東海道新幹線下り「こだま475号」(東京発名古屋行き、0系、16両編成、全長約400m)の7号車に乗車した。
高校生は、父親と新富士駅で待ち合わせるため、1駅手前の三島駅で、3分間の停車時間に一旦降りてホーム上の公衆電話で帰宅時刻などを連絡中、発車アラームが鳴り始めたため、「列車が出てしまう」と言って電話を切った。 ホームの10号車と11号車の間にいた駅員(49、輸送主任)は、最後部の16号車にいた車掌に「ドア閉めOK」の合図をし、 車掌はドアを閉めた。
高校生は再び乗車しようと6号車に駆け寄り、ほとんど閉まりかけたドアに手を入れてこじ開けようとして左手の指を挟まれて抜けなくなった。新幹線では、ドアの戸閉め検知装置で扉間隔が3.5o以下になったことを検知しないと発車できないが、検知装置はドアが閉まったと認識した。
ドアが閉まったことになったため、全車両のホーム側の車側表示灯の赤ランプが消え、運転台の「戸閉め確認ランプ」が点灯した。

18:34、運転士は、運転台にあるランプが点灯したため、ドアが閉まって いるとして発車した。駅員は約100m前方で新幹線と並走するように6号車のドアをたたいている赤いコートを着た高校生が 見え危険だと思ったが、見送り客がふざけていると思ううち、ホーム上の帰省客などの人波(約290人)やホームの柱の陰に 隠れて見えなくなった(推定)。
また、車内にいた車掌長は、発車時に8号車乗務員室の窓から顔を出して安全を確認しなかった。
高校生は約30秒間、ホーム上を約150m引きずられてから振り落とされて線路に転落した。
18:35頃、「こだま」発車直後、ホームにいた乗客が駅員に「客がドアに挟まれている、列車に引きずられている」と通報があった。
18:39頃、「こだま」内の乗客が乗務員に「6号車で男性がドアに挟まれ振り落とされた」と連絡した。
駅員から電話連絡を受けた輸送指令員は、運転士にドアなどに異常がないかを確認した。運転士は異常はないと判断、そのまま走行を続けた。
輸送指令員と運転士のやりとりの最中に、車掌が乗客からの事故の知らせを運転士に伝えた。
18:40〜45、駅員が線路を調べたところ、下り線ホーム端から34m先の線路脇で高校生が倒れて死亡しているのを発見した。
そこで、後続列車に一斉停止の指示を出した。「こだま475号」は予定通り名古屋まで運行した。
【原因】
@ ドアに挟んだ指が抜けなかった。
「こだま475号」などの0系車両のドアは、トンネル進入時やすれ違い時の急激な車内の気圧変化を抑える目的で、発車直後に外に向かって油圧で押し付けて密閉する装置が作動するようになっていたため、挟んだ指が抜けなくなった。1986年以降に運用された「100系」や「300系」では、時速5kmに達してから密閉装置が作動する。
A ドアに指が挟まれているにもかかわらずドアの「戸閉め確認ランプ」が点灯した。
新幹線では、ドアの戸閉め検知装置で扉間隔が3.5o以下になったことを検知しないと発車できないが、指先の幅がドア 端のゴム部分の遊びに吸収されたため、あるいは、指先がドアと車体との間に挟まれたため(推定)、検知装置はドアが 閉まったと認識した。
B 最後部の16号車の車掌から6号車のドアは見えず、事故に気付かなかった。
東海道新幹線16駅のうち、見通しの悪い9駅のホームには列車監視モニター(ITV)が設置されていたが、三島駅や静岡駅 など6駅はホームが直線で見通しがよいとしてITVがなく、駅員らの目視に頼っていた。しかし、実際には三島駅のホーム (約450m)は緩いカーブになっており、見えなかった。
C 車内にいた車掌長は、ドア故障点検のため10号車に向かっていたため、発車時に8号車乗務員室の窓から顔を出して安全を確認しなかった。
【対処】
静岡県警捜査1課と三島署は事故原因の調査に着手した。
JR東海も今回の車両0系車両のドアの改良の必要性を認め、技術的な検討を始めた。また、客から事故の通報がありながら、 直ちに列車を止める措置がとられなかったことを重視、ホームで異常が発生した場合の駅員や乗務員のとるべき行動を具体 的に定めるマニュアル作成を決めた。
その他、新幹線ホームの列車防護スイッチ(駅構内の列車をすべて止めることができるスイッチ)の位置や使い方を一般客 にもわかりやすく表示し協力をもとめることを翌年の1月中に実施することにした。 また状況を監視するためのカメラの増設することも決定した
【対策】
1996年4月〜1997年3月、事故を起こした車両と同じ0系車両(JR東海23編成368両、JR西日本49編成450両)のドアを発車後 に外側に押し付ける密閉装置(気密押さえ)を、時速30km以上になってから作動させるよう改良。時速5km以上で作動する 100系や300系のドア密閉装置の改良予定はないと発表。
1997年4月〜2000年春、新幹線の全車両(約3300)のドアについて、1)戸閉め圧力を30kgから13kgに下げる、2)密閉装置の作動を発車後時速15km(300系一部と500系)、25km(100系と300系)に変更。
【背景】
東海道新幹線は、1965年10月1日の開業以来30億人を運んできた世界にもまれに見る、高速大量輸送期間で、高度成長期に入ろうとする日本経済を支える大動脈として大きな貢献を果してきた。時速200km/hを超える速度にもかかわらず、30年間乗客の死亡事故0という世界の鉄道にも例のない記録を打ちたて、「新幹線の安全神話」という言葉さえ生まれていた。その記録達成からわずか3ヶ月後に本事故は起こった。
【知識化】
@ 事故には予兆がある。怪我する事故が発生していた。
A しかし、その予兆・小さな事故ではなかなか対策はとられない。
B センサーが作動していても、センサーの目的どおりの状態とはいえない。装置の発する信号は盲信される。 コンピュータの計算結果をうのみにしてしまうことと同じである。
C 時刻優先(新幹線の時刻の正確さは外国人も驚くレベル)は、ときには安全軽視の結果をもたらす。
【総括】
今回のようなドアに挟まれたまま新幹線が発車する事故は、1985年以降4件発生していた。1985年12月、東北新幹線・上野駅で男性が左手小指をドアに挟まれてけが、1992年5月には東海道新幹線・新大阪駅で男性が列車にひきずられて、薬指を切断、1993年2月山陽新幹線・広島駅で、同11月に東海道新幹線・京都駅でいずれも女性がドアに挟まれてけがをしていた。それにもかかわらず、ドアの改良をするなど対策をとらなかった。ドアの改良をしないなら、十分な駅員を配置し安全最優先の社員教育を実施すべきなのに、されていなかった。利益やダイヤどおりの運行を重視するあまり、これらの措置を怠ったとしか考えられない。その意味では、人災そのものの事故といえよう。

以上