【事例発生日付】1992年10月16日 【事例発生場所】千葉県袖ヶ浦 【事例概要】    富士石油袖ヶ浦製油所で水素化脱硫装置の 熱交換器から漏れた水素ガスが爆発・炎上した。    熱交換器点検の際、変形していた部品を 無理に継続使用し、熱交換器の気密性が失われたために 水素ガスが漏洩したことが原因であった。    死者10名、負傷者7名の犠牲者がでた。 【事象】    富士石油袖ヶ浦製油所で水素化脱硫装置の 熱交換器から漏れた水素ガスが爆発・炎上した。    死者10名、負傷者7名の犠牲者がでた。 【経過】    1992年10月1日〜11日、 第2減圧軽油水素化脱硫装置で、反応器の触媒(脱硫を促進させる 粉末のアルミナ触媒)が劣化して作用が弱まっていたため、 装置を停止し触媒を交換した。    10月14日、 慣らし運転開始。通常より100℃前後低い300℃の減圧軽油を装置に入れ、 徐々に昇温、昇圧。    10月16日13:00〜 本格運転開始。    15:45頃〜 熱交換器のボルト増締め作業開始。    15:47〜48頃、 熱交換器上部の検知孔J型管(内径6o)から白煙(水素と減圧軽油ミスト) 噴出発見。    作業中断し、作業責任者の指示で、風上に当たる。 熱交換器のすぐ前面で作業者の多くが待機した。    脱硫装置には、可燃性ガス検知機(大気中ガス濃度0.2%で反応)6個、 硫化水素ガス漏れ検知機(大気中ガス濃度10ppmで反応)1個、水素ガス検知機 (大気中ガス濃度0.5%で反応)1個が設置され、熱交換器4基の中間地点 地上約50cmには可燃性ガス検知機を設置。    ガスが検知されると製油所コントロールルームにある 3種類のガスの検知機警報装置のブザーが鳴ることになっていたが、 どの検知機も作動しなかった。    15:52頃、 熱交換器のチャンネルカバー(蓋部分、直径1.33m、重さ約1.9t)と ロックリング(直径約1.42m、重さ約1.07t)などが外れて約120〜130m吹き飛び、 チャンネルカバーなどが直撃して日本鉱業の建物大破。    爆発音は周囲8kmに響き、約6km離れた市役所でも揺れを感じ、 爆風で窓ガラスが破損した。    噴出した減圧軽油ミストと水素ガス(総量15トン)が 爆発・炎上、火炎は約100m先まで長円状に広がった。    富士石油では、直ちに重油精製プラント全体を緊急停止した。    16:16、 消防が富士石油にプラントの緊急脱圧を指示、高圧ガスを放出した。    18:35、鎮火。 鎮火から1時間以上たっても高温のため現場から100m以内には近付けなかった。    二次爆発を防ぐため自衛消防団が20:30まで熱交換機付近に冷却放水した。    この事故で死者10名、負傷者7名の犠牲者を出した。 【原因】
   1991年の開放検査時の熱交換器 Eー2801B(外径1.5m、 長さ約9m、重さ約41.5t)点検・補修の際、熱交換器内部と 外部の漏れを防ぐガスケットを押して固定するガスケットリテイナーが 運転中の昇温、降温の繰り返しによる熱変形で径が減少し チャンネルバレルのガスケット溝に嵌まらなくなっていたことを、 発見した。    ガスケットリテイナーを新たに調達する 時間がなかったため、交換せずにグラインダーで削って 嵌め込み継続使用していた。    熱交換器のチャンネルカバーのインターナル フランジセットボルト(締め付けボルト)先端部は 熱交換器内部部材の運転条件の変化に伴う熱膨張を 吸収するため塑性変形して圧縮するよう設計されており、 収縮すると硬化して強度が増す材質だったが、 昇温、降温の繰り返しによって、ボルト先端部が 6mm以上収縮変形し硬化していた。    しかし、ボルトを交換せずにそのまま 使い続けたことから、ボルト先端の塑性変形による 熱膨張応力の吸収がなくなり、ロックリングに熱膨張応力 が集中、ロックリング径が経年縮小していた。    反応器の触媒(脱硫を促進させる粉末の アルミナ触媒)が劣化して作用が弱まっていたため、 1992年10月1日から装置停止し11日までに触媒交換。    この降温時に、ガスケットリテイナー径が 収縮してガスケット溝内側角部に乗り上げと噛込みが発生した。    10月14日、慣らし運転開始。 通常より100℃前後低い300℃の減圧軽油を装置に入れ、 徐々に昇温、昇圧。    この際、チャンネルバレル(外筒)が ロックリングに対して相対的に熱膨張。    ロックリングとチャンネルバレルのネジ山(6mm)の噛合い減少。    10月16日、13:00から本格運転開始し、 15:45頃から熱交換器のボルト増締め作業開始したが、 昇温時の熱変形によりガスケット部の隙間拡大、 チャンネルバレル内圧上昇変形したため、 ロックリングが脱落した。    そのため熱交換器のチャンネルカバー(蓋部分、直径1.33m、 重さ約1.9t)とロックリング(直径約1.42m、重さ約1.07t)などが 外れて約120〜130m吹き飛んだ。    ガスが検知されると製油所コントロールルームに ある3種類のガスの検知機警報装置のブザーが鳴ることに なっていたが、どの検知機も作動しなかった。    その理由として、漏洩したガスの主成分の水素が すぐに拡散して濃度が低下したためと考えられる。    10月16日、 事故発生後、通産省は大臣官房参事官および石油部精製課長等 担当官を現地に派遣し、情報収集を行なうとともに、千葉県に対し、 担当官の派遣および事故原因の究明等を指示した。    10月17日、 通産省、労働省、警察、消防、千葉県による合同現場検証を実施した。    なお、通産省としては、本部立地公害局保安課液化 石油ガス保安対策室長等を派遣した。    10月18日、 政務次官、立地公害局長、大臣官房参事官、資源エネルギー庁石油部長、 関東通産局総務企画部長等が現地視察を行った。    10月19日、 事故原因の究明に先立って、当面の対策として、関係各府県、業界団体 および高圧ガス保安協会に対し同種の重油間接脱硫装置の再点検等を 内容とする立地公害局長通達を発した。    同日、 通産省産業省立地公害局長の私的諮問機関として 「千葉県富士石油袖ヶ浦製油所事故調査委員会」(委員長: 大島榮治東工大名誉教授)を設置し、事故原因の究明、 再発防止策の検討を開始した。 【対策】    「千葉県富士石油袖ヶ浦製油所事故調査委員会」は 1993年5月、以下の対象者ごとの再発防止策を提言した。
   この製油所は京浜工業地帯に立地し、同工業地帯内への各社へ 原料および燃料を供給するとともに、一般石油製品を共同石油(現在のコスモ石油) に販売する石油精製工場であった。    事故を起こした熱交換器は米国シェブロンリサーチ社の ライセンスによって生産されたブリーチロッククロージャー型といわれるタイプで、 シェブロンリサーチ社のライセンシーである千代田化工建設鰍ェ 製造メーカーであった。    1987年に千代田化工建設の当該熱交換器の製造部門が 千代田プロテック鰍ノ移管された。    今回事故が発生した熱交換器(E-2801B)は、外径1.5m、長さ9m、 重量は約41.5tで、1975年2月に製作されたものであり、その後1991年6月まで 計5回の開放検査・整備が行なわれていた。    その内最近2回の開放検査(1988年5月および1991年6月)は、 千代田プロテック鰍フ工場(川崎)に持ち込まれて検査・整備が行なわれていた。 |
【知識化】
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【総括】    事故の直接的原因となったガスケットリテイナーに関しては、 新たに調達する時間がなかったため、交換せずにグラインダーで削って 嵌め込み継続使用していた。    このことは富士石油に報告されていたにもかかわらず、 アクションが取られていなかった。    また、熱交換器チャンネルカバーのインターナルフランジセット ボルト先端部の変形・硬化を無視して継続使用されていた。    安全意識が不足していたと考えられるが、この熱交換器は 米国 シェブロンリサーチ(Chevron Research & Development)社のライセンス製品 であることから、保守・点検担当者が装置について情報不足になりやすく、 各部品の変形の影響・危険性などについて充分認識した上で保守・点検することは 困難であったと推定される。    また、事故の拡散防止を防ぐガス検知機が まったく作動しなかった点にも、警報システムへの対応の教訓がある。 以上 |