【事例発生日時】1972年1月8日 【事例発生場所】神奈川県横浜市鶴見区 【事例概要】    アジア石油横浜工場で、ベンゼンタンクから試料を採集時、 静電気によって試料蒸気が発火、タンクが爆発し火災が発生。 2名が負傷した。 【事象】    アジア石油横浜工場で、ベンゼンタンクから試料を採集時、 試料蒸気が発火、タンクが爆発し火災が発生。2名が負傷した。 【経過】    15:20、 輸出用に船積みするベンゾールの品質検査(検尺、検温、試料採取等)のため、 アジア興業社員2人がベンゼンタンク(コーンルーフ型、内径31.997m、高さ14.515m、 容量10,000キロリットル)の屋上にのぼり、ゲージハッチ(検尺口、内径43p)を開き、 スケール(スチールテープ)を降ろし3回検尺した。(液面高さ12.707m、 在庫量10,211キロリットル)    その後、おもり付き大型液体試料採取器を綿ロープ(太さ7o、長さ16m) でハッチから吊下げ、ベンゼンを採取して容器洗浄後タンク内に液を戻した。    上層部(液面下約2m)の採取終了後、中層部(液面下約6m)の採取をするため 試料採取器のコルク栓を閉めて採取器を降ろした。(この間、ハッチ付近のタンク内に、 東の風にあおられて空気が入り込み爆発性混合気形成したと考えられる)    ロープを急に引いて、採取器のコルク栓を抜こうとしたが、 何回引張っても抜けないため、約1分後、採取器をゲージハッチのところまで綿ロープを手繰って引き上げ、 手を伸ばして採取器のハンドルを握ろうとした瞬間、ベンゼン蒸気に着火、火柱が上がり左手に火が付いた。    火を払っている間に綿ロープを手離したため、採取器がタンク内に落下してしまった。    15:25頃、 急いでハッチの蓋を足で閉めた直後、爆発が起こり火災をなった。 このとき2名の作業員のうち1名は15m下の地上に転落し、1名は一時気を失ったが、 その後気を取り戻し、階段を自力で下りた。    タンク側板と屋根板との溶接部分(トップアングル)に亀裂4ヶ所発生、 屋根板が大きく盛り上がり、亀裂から火炎(約10m)と黒煙(高さ30〜40m)が噴出した。    9日6:00、鎮火。 【原因】
   上層部(液面下約2m)の採取終了後、中層部(液面下約6m)の 採取をするため試料採取器のコルク栓を閉めて採取器を降ろした。 この間、ハッチ付近のタンク内に、東の風にあおられて空気が入り込み爆発性混合気が形成した。    ロープを急に引いて、採取器のコルク栓を抜こうとしたが、 何回引張っても抜けないため、約1分後、採取器をゲージハッチのところまで綿ロープを手繰って 引き上げ、手を伸ばして採取器のハンドルを握ろうとした瞬間、採取器とゲージハッチ、 または作業者の手との間で静電気火花発生、ベンゼン蒸気に着火した(推定)。    15:25、 火災発生と同時に化学消防車(1号、2号)が出動し、1号車はタンク亀裂部に泡放射を、 2号車はタンク側面に冷却放水を行なった。    15:45、 埋設泡消火配管が腐食により開孔しており、またタンクの固定泡消火設備のエアフォームチャンバー2基 のうち南側1基が破損し、北側1基が立ち上がり配管基部で亀裂を生じ、発泡不能となったため、 ラインストレーナーを取り外し、短管の継ぎ込みを行い消防車により直接泡放射ができるよう 応急処置をとった。    15:56、 消防機関による現場指揮本部が設置され、自衛消防隊はその指揮下に入った。    16:20、 泡放水泡3基、化学消防車3台によりタンク破口部からの泡注入を開始したが、 破口部が狭く効率が悪いため、短時間の消火は困難であると判断し、ベンゾールを他のタンクへ 移送するよう事業所側に命じた。 しかし、空間容積が増大し、火災が拡大したため19:30停止を命じた。 その後、タンクのパイプを通じて、ライトウオーター(FC-194)や液体窒素、炭酸ガスなどで 消火を試みたが、効果は見られなかった。タンク内液面を維持するため、増量した水は移送した。    9日4:30、 ライトウオーター(FC-199)を化学消防車4台を連結した4口から注入、蛋白消火泡を化学車6台連結による 4口から注水、炭酸ガスを2口から注水、およびタンク側板冷却用水を22口から一斉に放水を開始した。    5:20、 ようやく火勢は弱まり、火災はタンク内部に入った。    6:00、 煙も出なく、完全鎮火を確認した。爆発後14時間35分も経過していた。 【対策】    試料採取、検尺および検温は原則として屋根上では行なわないようにした。 試料採取、検尺および検温は原則として屋根上では行なわないようにした。
   その後、同協会から改定された指針が出された(JIS:K2420-1978)。 【総括】    この試料採取作業は、大蔵省関税局長の内部通達により、 直接人間による採取方法を採るよう指示を受け、JIS:K2420-1970「芳香族製品及びタール製品試料採取方法」 で定めれられた大型液体試料採取器(JIS:K2251による、直径7.6p、長さ35p、容量1.2リットル、黄銅製)を 使用する方法を採用していた。(この方法はJISの「原油及び石油製品試料採取方法」とほぼ同内容。)    しかし、このような事故が発生してしまった。 規則や通達通りでも安全であるとは言い切れない。    そこには、様々な条件で結果的に事故となってしまう危険が存在する。 (今回は外からの風でタンク内に爆発性混合気が形成したことなど) |
【知識化】
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【背景】    日本は明治維新以降、欧米に100年遅れて近代化の道を歩き始めた。 化学工業においては、戦前、染料、苛性ソーダが発明国での工業生産開始から約50年遅れて 日本で工業化されたのに対し、典型的な戦後産業である石油化学は、 1950〜1960年代に急速な海外からの技術導入が行なわれ、10年以内のタイムラグで生産を開始し、 1970年には代表的な石油化学基礎製品であるエチレンが年産300万トンを突破するなど、 生産量的には欧米をキャッチアップしてきていた。    しかし、借り物の技術における安全面への対処方法が十分であったとは考えにくい。 【引用文献】 [1] 長谷川 和俊:ベンゼンタンク爆発・火災の調査から 消防情報第26号(1973) [2] ベンゾールタンク火災:週刊 産業と保安 (1775年7月3日) 以上 |