失敗百選 〜スリーマイル島原発の破壊〜
【概要】
米国ペンシルバニア州ハリスバーグ南東10マイルの、
スリーマイル島の第2原発プラントで事故が発生した。
加圧水型原子炉において、信頼性のない機器の採用と誤判断によって、
被覆管が破れるなどの炉心の破壊が発生し、放射能を含んだ水や放射能ガスが、
外部に放出された。3日後半径5マイル以内に住む妊婦と幼児に避難勧告が出され、
大きな混乱となった。アメリカでは、この事故以後、原発建設の中止が相次ぎ、
原子力開発に深刻な影響を与えた。
【日時】
1979年3月28日
【場所】
米国ペンシルバニア州スリーマイル島
【事象】
米国ペンシルバニア州ハリスバーグ南東10マイルの、
スリーマイル島の第2原発プラントで事故が発生した。加圧水型原子炉において、
被覆管が破れるなどの炉心の破壊が発生し、放射能を含んだ水や放射能ガスが、
外部に放出された。3日後半径5マイル以内に住む妊婦と幼児に避難勧告が出され、
大きな混乱となった。
【経過】
- スリーマイル島原発2号機は出力959,000キロワットの加圧水型原子炉で、
事故は、2次冷却水系の主給水ポンプが故障によって停止したこと(C)
から始まった。代わりをつとめる補助給水ポンプがすぐに作動したが、
開いているはずの出口弁が閉じられていたため(D)、
蒸気発生器に給水されなかった(このことに8分間気がつかなかった)。
このため原子炉内の温度・圧力が上昇し、
加圧器上部にある圧力逃がし弁が自動的に開き(F)、
高温の水が流出して格納容器内の逃がしタンクへ流れた。
原子炉は緊急停止し(G)、炉内の圧力が低下した。
これによって加圧器逃がし弁は閉じるはずなのだが、
開いたままになってしまった(J)。このことに以降2時間20分も、
気づかなかったため、結果的に約80トンの一次冷却水が逃がし、
タンクから流出した。このころ制御室では、100以上の警報がなるなど、
大混乱が生じていた。
- 炉内圧力が下がったので、緊急用炉心冷却装置(ECCS)
が正常に作動して(L)、毎分4トンの水を炉内に注入しはじめた。
しかし、運転員は加圧器の水位計が上がったため
(実は逃がし弁が開いているために、流動によって見かけ上、上がっていただけ)、
炉内の水がいっぱいになったと誤判断して手動でECCSを止めてしまった(N)。
このため、一次冷却水が沸騰を始め、炉内水位が低下し、炉心が露出した。
ところがその前に、キャビテーション(沸騰による泡の発生と消滅)
によって一次冷却水ポンプが振動を始めたので、ポンプを停止していた。
- 一次冷却水が循環しなくなり、炉心温度がどんどん上昇し、
被覆管温度が2,000℃に達して、約45%が溶融した。
被覆管と水とが反応して水素ガスを発生し、10時間後には水素爆発を起こした。
圧力逃がし弁から流出した水は排水タンクからあふれ(Q)、
格納容器内の床に溜まり、床の水溜めのポンプによって補助建屋に送られ(S)、
ここから放射能が外部に漏れだした。その後、炉内は注水され、
自然循環によって冷却される状態に至ったが、
水素ガスや放射性ガスの発生が続き、約1,000万キューリーの放射性ガスが、
大気中に放出された。
【原因】
- 故障情報システムの問題
故障情報を伝える機器の不備のため、次々と運転員の誤判断をまねくことになった。
補助給水ポンプの弁が閉じていることを示すランプの1つは、
注意札で見えなくなっており、しかも閉のときに緑のランプがつくように、
なっていた。コントロールルームの表示ランプには赤が異常を示すものもあれば、
緑が異常を示すものもあるというように、統一がとれていなかった。
加圧器逃がし弁が閉じていることを示すランプは、
弁に対し閉の指令情報を出していることを示しているだけで、
実際の弁の開閉状態を示すものになっていなかった。したがって、
実際には閉じていないのに、ランプは閉を示していたため、
故障に気が付かなかった。
加圧器内の水位が満杯になってしまうと、圧力の調整ができなくなってしまうので、
運転員は加圧器の水位が上がるのを恐れる。しかし加圧器内の水位は、
逃がし弁が開いた状態で炉心に注水しているときは、
流動によって押し上げられる。また炉心内で沸騰が起こり、
ガスが発生している時も、このガスによって加圧器内の水が押し上げられる。
これらの場合、見かけ上水位が上昇しているように見え、
炉心内に水があふれているのの誤判断をまねいた。
つまり加圧器内の水位メータは炉心内の状態を、
適切に示すものにはなっていなかった。
コントロールルームのパネルには表示ランプが1,200個もある上に、
事故発生時には警報ランプが100個以上も点灯して何が何だかわからなくなった。
- 品質保証に対する考え方の不備
故障した加圧器逃がし弁は以前から故障を繰り返し、信頼性に乏しかった。
にもかかわらず、信頼性の高い機器に替える対策をとらず、
故障が起こっても“だまし”運転を続ければよいという指導を行なっていた。
- 運転員の教育・訓練の不足
スリーマイル島原発の運転は電力会社の社員ではなく、
運転だけを下請けする会社が行なっていたが、
原子炉や熱現象についての十分な知識がなく、事故に対する訓練も乏しかった。
- 従来の安全設計基準外
原子炉の安全装置の設計に当たっては、一定の事故を想定し、
これに対処できるような設計を行なうが、スリーマイル島原発の事故は、
それまでの設計基準事故を越えており、どう対処すべきか考えられていなかった。
【対処】
事故に対する運転員の対処は前述のとおりであったが、
事故についての正確な情報が伝わらず、放射能測定値の誤った情報を伝えた、
ペンシルバニア州知事が、事故発生3日後、半径5マイル以内に住む妊婦と幼児に、
避難勧告を出したことから、約14万人が避難行動を起こし、大混乱に陥った。
【対策】
スリーマイル島原発事故に関する報告は膨大な量にのぼる。
大統領が任命した事故調査特別委員会の報告では、運転員の教育・
訓練のしかたに大きな誤りがあったと指摘している。
日本では、原子力安全委員会が第1次〜第3次報告書を提出し、
安全基準、安全調査、安全設計、運転管理、防災、安全研究など52項目の
「安全確保に反映すべき事項」を指摘した。
地方自治体では原子力防災計画の見直しが行なわれた。
【総括】
信頼性に欠ける機器で成り立った原発プラントシステムを、
不十分な点検体制のまま、無理やり運転を続けていた。
故障を伝えるシステムも運転員を混乱させ、誤判断を生みやすいものだったため、
運転員は事故に際し、何がおこっているのかさっぱりわからず、
誤判断による操作がさらに事態を悪化させて、最大事故にまで発展した。
【知識化】
- 事故は1つの故障に、誤った判断や他の故障が多く重なって生じることが多い。
1つ1つの機器の信頼性を高め、バックアップのシステムが常に正常に、
作動する体制を保障することが重要である。
- さらに人間の判断の特性に合わせ、わかりやすく、
誤判断を起こしにくいシステムを組むとともに、
誤操作や誤判断に対する安全システムを組むことが大切である。
- アウトソーシングの危険
アウトソーシングによるレベルの低下を防止する必要がある。
【背景】
当時の世界におけるエネルギー資源の構成(一次エネルギー供給)は、
石油が約70%、石炭が約20%、水力が10%弱と、圧倒的に石油への依存度が高く、
しかもOPECなどの石油産出国の石油価格政策で、エネルギーの供給構造が、
脆弱となっていた。原子力は石油代替エネルギー源のエースとして登場していた。
原子力発電は、核分裂による熱を使って蒸気を発生させ、
タービンを回して発電を行なうシステムで、火力発電所での石油や、
石炭の燃焼エネルギーを核分裂のエネルギーに置き換えたものである。
スリーマイル島原発は、2基の加圧水軽水炉を持っており、
事故を起こした2号炉は定格電気出力が96万kwであった。製造したのは、
バブコック・アンド・ウイルソン社で、運転を担当したのは、メトロポリタン・
エジソン社であったが、1977年3月の試運転中から1979年1月の商用運転中までの間に、
給水系トラブル9件、主蒸気安全弁開固着1件、ECCSが作動したのが9件(内1件は手動)
などの事故・故障があった。とくに、1978年3月には、低出力運転中、
電源喪失により加圧器逃がし弁が誤開放し、ECCS(高圧注水系)が作動した。
電源喪失のため原子炉圧力および加圧器水位の指示が出来なくなった。
その後電源の復旧により事態は収束したが、制御室には加圧器逃がし弁本体の、
開閉指示計がなかったので、運転員は即応的な対応がとれていなかった、
などトラブル続きであった。
また、この事故以前にも1974年8月のスイスの発電所や、
1975年6月の米国オコーニー発電所、1977年9月の米国のデイビスベッセ発電所などで、
類似の事故が発生し解析評価などに基づいた警告的なレポートも出されていた。
失敗を教訓とせず軽視してしまったために本事故が起きたと言える。
この事故で原発に対するそれまでの「安全神話」が吹っ飛び、
反原発の機運が高まるきっかけとなった。
【引用文献】
畑村洋太郎編著、実際の設計研究会著:
続々・実際の設計、日刊工業新聞社(1996)
原子力百科事典:
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/02070405_.html