失敗百選 〜北海道南西沖地震による奥尻島の津波〜

【概要】
   北海道南西沖の日本海で、マグニチュード7.8の地震が発生し、 奥尻島では、強いゆれ、津波、火災、土砂崩れの災害が集中した。 人口4,700人の奥尻島では、死者・行方不明者は住民の85%にものぼった。 震源が奥尻島で、島への大津波が大きな被害につながった。

【日時】
   1993年7月12日

【場所】
   北海道南西沖奥尻島

【事象】
   北海道南西沖の日本海奥尻島近くで、 マグニチュード7.8の地震が発生した。奥尻島では、 強いゆれのあと一瞬の大きな津波、火災、土砂崩れによって、 人口4,700人の85%にものぼる死者・行方不明者を出した。

【経過】
    7月12日22時17分に北海道南西沖(北緯42度47分、 東経139度12分)で、震源の深さは34km、マグニチュード7.8の大きな地震が発生した。 地震の震源地である奥尻島では震度6の烈震(地震計が設置されていないため推定)であった。
   22時20分ごろ、津波第1波は島を襲った。 島南端の青苗地区では津波によって多数の人と、504戸のうち385戸が流された。 さらにプロパンガスボンベや家庭用灯油タンクが火災を拡大し、190戸、 約51,000uが焼失した。奥尻地区では裏山の山崩れでホテルごと飲み込まれ、 島外からの宿泊客を含めて29名もの犠牲者がでた。 島北部の稲穂地区では約70戸の家が津波にさらわれ集落が消えた。
   22時22分、この地震に伴い、 札幌管区気象台は北海道の日本海沿岸に大津波警報を発表した。
   津波は日本海沿岸の各地に及んだが、 その高さは奥尻島がもっとも高く、稲穂地区で8.5m、奥尻地区で3.5m、 初松前地区で16.8m、青苗地区の浸水高は6.7mであった。 島西岸の藻内地区では、急傾斜な沢の入口で23.2m、沢の奥で30.6mの遡上高を記録した。 島全体では、西側で高く平均で11m、島の東側で低くて平均で5mであった。
   また、この地震で、地殻変動による地割れや陥没、建物の倒壊、 液状化現象による田畑や道路、灯油備蓄タンクを押し潰して灯油が流出するなど、 各地区で大きな物的被害をもたらした。
   津波は奥尻島のみにとどまらず、北海道渡島半島西部 (檜山管内)や東北地方にもおよび、来襲を繰り返して長時間継続した。
   写真1は青苗漁港の被害状況、 写真2は奥尻地区の山崩れの被害状況である。



【原因】
   地震の震源が、北海道南西沖(北緯42度47分、東経139度12分)で、 震源の深さは34km、マグニチュード7.8で奥尻島が震源域であった。 そのため、地震発生後2〜4分後に避難するまもなく、津波に襲われた。 考えられない高さの津波の来襲で家や集落が一瞬のうちに壊滅し、 人的被害のほとんどはこの津波によるものであった。
   また、多くの住宅が海辺に建てられていたことも、 災害拡大の1つである。

【対処】
   この地震発生で、札幌管区気象台は午後10時22分に、 北海道の日本海沿岸に大津波警報を発表した。しかし、 警報以前に津波の第1波が襲っている。

【対策】
   津波対策として防潮堤の建設や河川2ヶ所の津波水門 (地震発生時に震度5を検知すると約1分間の非常放送後にゲートが自動的に閉鎖する、 写真3)の設置、崖崩れ対策として法面工事などが行なわれるとともに、 災害時の避難強化策として、行政無線戸別受信機購入支援事業、 町内会各地域避難路整備事業、水難救難所体制強化支援事業、 避難所等非常用電源確保及び無線機整備事業、災害用保安帽及び救命胴衣支給事業、 防災ハンドブック作成事業、緊急避難用袋配備事業、 避難広場照明施設整備事業などが実施された。



【総括】
   本地震の特徴は、地震活動の低い地域で規模の大きな地震が、 大地震の空白域を埋めるように発生したことである。被害の特徴は、 犠牲者の数において過去45年間に日本で最大であった。強い揺れ、津波、火災、 山崩れなどの災害が奥尻島に集中したので「奥尻震災」といわれている。

【知識化】
   本災害から、下記の教訓を得ることができる。
  1. 緩ゆれたらすぐ火の始末
  2. 低地に住むな
  3. 強い揺れを感じたらすぐ高台へ
   また、警報が出てからの行動では手遅れになることがある。 本災害では津波の第1波が警報以前に到来していた。


【背景】
   ”北の沖縄-------。”まさにその愛称にそむかない見事な紺碧の海に囲まれ、 ウニ、アワビ、ヒラメ、イカ、ホッケ、タラなど類い稀れな海の幸を、 天から授かり続けてきた奥尻島。豊かな水原、濃密な緑にも恵まれたこの夢の島を、 その日に突然襲ったのある。
   北海道南西沖地震は1983年日本海中部地震(M7.7)と、 1940年積丹半島沖地震(M7.5)の震源域の間の空白域を埋めるように発生した。 一帯はユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界に当たり、 両プレートの衝突が一連の地震の原因であった。 規模やメカニズムに関しては1983年の日本海中部地震とよく似ている。 断層運動に伴った地殻変動により、奥尻島は20cmから80cmも沈降し、 さらに西へ1〜2m移動した。

【参考文献】
   蘇る夢の島:http://www.hiyama.or.jp/earthqu/default.htm#saigai
   (社)日本損害保険協会:地震!グラッと来る前に  地震災害の怖さを見せつけた北海道南西沖地震