【概要】 信楽高原鉄道線小野谷信号場−紫香楽宮跡駅間にて、 京都発信楽行き501D「世界陶芸祭しがらき号」(JR 3両編成) と信楽発貴生川534D(レールバス4両編成)とが正面衝突し、 死者42名、負傷者614名の被害が発生した。 列車運行に最も重要な安全の確認に関する基本ルールを守らなかったことが原因であった。 写真1に新聞報道を示す。 1991年5月14日 【場所】】 信楽高原鉄道線 【事象】 信楽高原鉄道線小野谷信号場−紫香楽宮跡駅間にて、 京都発信楽行き501D「世界陶芸祭しがらき号」(JR 3両編成) と信楽発貴生川534D(レールバス4両編成)とが正面衝突し、 死者42名、負傷者614名の被害が発生した。 【経過】 信楽高原鉄道は、JR西日本草津線の貴生川駅から分岐し、 信楽駅に至る全長14.7kmの非電化単線の盲腸線である(図1)。 JRから直通乗入れの下り臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」は、 世界陶芸祭に訪れる乗車率約2.5倍の超満員(716名)の乗客らを乗せて、 定刻より5分遅れの9時30分に始発の京都駅を出発した。 草津線などの運行管理する亀山CTCセンター(三重県亀山市)では、 下り501D列車が遅れていることを知り、9時44分頃、遠隔操作で 「方向優先てこ」を作動させた。方向優先てこは、下り列車が遅れた場合に使用され、 小野谷信号場の上り信号を赤にし続け、上りの高原鉄道を停車させておくことができ、 予定通り小野谷信号場での交換(行き違い)が可能となる。停車時間などの短縮で、 やや遅れを回復した下り501D列車は、10時18分、貴生川を2分遅れで発車した。 一方、上り534D列車は、 信楽駅の出発信号機が赤信号から出発指示に変わらず、 定刻に出発できずに待っていた。しかし、10時24分、小野谷信号場との連絡もないまま、 手信号に切り替え、10分遅れで列車を出発させた。 ところが、信楽駅からの上り列車の誤出発を検知して、 小野谷信号場の下り列車用の信号を赤にすべき装置は作用せず、 小野谷信号場の信号は青であった。そのため、下り列車は交換(行き違い) すべき上り列車がいないことを不審に思いながらも、小野谷信号場を通過した。 (「青」は、とくに列車が遅れている場合、「積極的に進め」という意味である)。 そして、10時40分頃501D列車と534D列車とは正面衝突し、 大破した車体に挟まれて多くの犠牲者(死者42名、負傷者614名)が発生した。 この事故の影響で、信楽での世界陶芸祭は中止となった。 信楽高原鉄道は、20人の社員のうち5人、 4両の車両のうち2両を失う大打撃を受けたが、同年12月8日運転を再開した。 信楽高原鉄道が、列車運行に最も重要な安全の確認に関する、 基本ルールを守らなかったことが原因である。「常用閉塞方式」 (通常使用する信号システム)から「代用閉塞方式」(手信号)に切り替える際、 安全を確保する措置(小野谷信号場との連絡)を行なわず、 534D列車を信楽駅から出発させた。 そして、上り列車の誤出発検知が、事故当時正常に作動しなかった。 (なぜ、作動しなかったか、については、「何らかの理由により信号回路が、 一時的に異常接続状態にあったものと推測されるが、断定できない」 (運輸省鉄道局の事故原因調査結果報告)として、依然として不明である)。 また、JR西日本・信楽高原とも、信号保安システムの変更 (方向優先てこの設置など)を、法令に基づく必要な手続きを経ずに実施しており、 これが事故の背景にある。 【対処】 警察はただちに調査を開始し、また、運輸省は調査委員会を設置し、 事故原因についての調査を開始した。そして、事故後1年7ヶ月後に運輸省鉄道局から、 事故調査結果として12ページの報告書が公表された。しかし、 犯罪性の有無を調べる警察の捜査が優先され、事故の本当の要因に踏み込んだものでない、 との指摘もある。 【対策】 JR西日本からの乗り入れ(直通運転)は中止された。この事故を受け、 JR東日本は鹿島臨海鉄道への列車直通計画を中止された(これは過剰反応との批判がある)。 また、新設した小野谷信号場の使用を中止し、列車の運転間隔は30分から1時間に戻った。 事故後の安全確保のため、サービスが犠牲になった。 【総括】 「常用閉塞方式」が故障したときに、安全を確保せぬまま 「代用閉塞方式」(手信号)に切り替えて列車を発車させたため、正面衝突が発生した。 結局「安全確保の手続きを省略しても、誤出発を検知する装置があるから、 対抗列車への信号は赤になってくれるだろう」「JR列車は待っていてくれるだろう」 というぬるい判断が事故を生んだ。 【知識化】
信楽高原鉄道は、廃止になった旧国鉄信楽線を継承した、 第3セクター鉄道である。信楽線は、国鉄再建法によって不採算路線として切り捨てられた。 廃止となったローカル線にはバスに転換した路線もあるが、 信楽高原鐵道のように自治体等の出資により第3セクター鉄道を設立し、 鉄道営業を続けている路線もある。このような第3セクター路線は、 一般的に経営基盤が弱い。 信楽高原鉄道は、JR西日本草津線の貴生川駅から分岐し、 信楽駅に至る全長14.7kmの非電化単線の盲腸線である。 かっては交換設備がなく、自社の車両が貴生川・ 信楽間を往復するだけの運転であった。 信楽での世界陶芸祭に対応し、 JR西日本からの直通列車を走らせることになり、 小野谷信号場を新設した。小野谷信号場の新設により列車の運転間隔は、 1時間から30分となり、輸送容量は倍増していた。 【引用文献】 畑村洋太郎編著、実際の設計研究会著:続々・実際の設計、日刊工業新聞社(1996) |