失敗百選 〜北陸トンネルでの列車火災〜

【概要】
   大阪発青森行き下り急行「きたぐに」が、 全長13,870mの北陸トンネルを走行中、何らかの原因で列車火災が発生し、 車両が燃えやすい材料だったことや、 火災時の列車緊急停止が運転マニュアルで決められていたなど、 長大トンネル内における火災対策の不備のため、 乗務員1名を含む30名が死亡し、714名が負傷した。

【日時】
   1972年11月6日

【場所】
   北陸本線北陸トンネル内

【事象】
   大阪発青森行き下り急行「きたぐに」が、 全長13,870mの北陸トンネルを走行中、列車火災が発生し、 乗務員1名を含む30名が死亡し、714名が負傷した。 犠牲者は焼死ではなく、一酸化炭素中毒死であった。(写真1)
【経過】
   下り急行「きたぐに」が北陸トンネル内を走行中、 15両編成の客車の11両目の食堂車から出火した。 1時10分頃に車掌が乗客から出火を知らされ、 直ちに非常停止の手配を取り、1時13分頃、 敦賀口から5.3kmのトンネル内で停止した(図1)。


   乗務員2名が消火器によって消火に努めたが火勢は衰えず、 消火は困難と判断した。火災を起こしている車両を切り離して脱出することとし、 1時24分頃、11両目の食堂車と12両目客車との間を60m切り離した。
   1時29分頃、トンネル両端駅である今庄、 敦賀両駅に救援を依頼するとともに、さらに9両目と10両目を切り離そうとしたが、 1時52分頃火災の影響のため、「きたぐに」の停車している下り線の架線が停電し、 運転は不可能になった。
   長大トンネル内であるため、約760名の乗客の避難誘導は困難を極めた。 一部の乗客は、火災のためトンネル内に停車していた上り急行「立山3号」 に乗り移り、今庄方面に脱出した。一部の乗客は徒歩でトンネル内を避難。 また一部の乗客はいったん車外に誘導させられたものの、 煙がひどいため客車内に戻り待機させられた。
   2時43分に第1次救援列車、 6時43分に第2次救援列車が敦賀駅から現場に送り込んだが、 煙がひどくて近寄れず、トンネル内を避難する乗客を乗せて引き返した。 全員の救助が終わったのは14時であった。
   トンネル内に充満した煙のため、乗客29名と職員1名が死亡し、 714名が負傷した。犠牲者は焼死ではなく、一酸化炭素中毒死であった。

【原因】
  1. 直接の出火原因は不明であるが、タバコの不始末、石炭レンジの残り火などの説がある。
  2. 車両に燃えやすい材料を使ったため、火が早くまわってしまった。
  3. 長大トンネル内でも火災時の列車緊急停止が運転マニュアルで決められていた。
  4. 長大トンネルの火災対策には不備があった。
         事故当時、北陸トンネルの火災対策は、 まったくなされていないのも同然であった。 換気・排煙設備はまったくなく、列車通過などによる自然換気のみに頼っていた。 トンネル内での無線は使用できず、約300mおきにある鉄道電話のみが、 外との連絡手段であった。 また、架線停電時すぐに使用できる動力車も確保されていなかった。さらに、 地元の消防関係者から防災対策改善の勧告が再三なされていたが、 国鉄(現在のJR)は「検討する」と回答しながら、 何ひとつ実施せず、惨事に至った。
【対処】
   出火車種オシ17形食堂車の全車両の使用を停止した。 これは、急行列車の食堂車廃止というサービスダウンになった。

【対策】
  1. 新造車両へ難燃構造を採用した。難燃材料の使用、延焼防止構造、 消火器・非常灯の設置などである。
  2. 運転マニュアルを見直した。「トンネル内の火災は、 トンネル抜けるまで停車しない」を追加した。
  3. 長大トンネルの火災対策として、救援用動力車、排煙設備、 避難経路を発表した。この事故の経験は、青函トンネルにも活かされている。 道路交通の場合は、日本坂トンネル火災事故が同様に多くの教訓を残した。
【総括】
   火災発生時に長大トンネル内で非常停止したため、 消火・避難とも困難を極め、多くの犠牲者が発生した。 この非常停止は「火災が発生したらすぐに列車を止めろ」という、 長大トンネルがない時代の運転マニュアルによるものである。 もしも乗務員が機転をきかせ、非常停車せずにトンネル出口まで運行させていれば、 これほどの被害はでなかったであろう。しかし逆にそうしていたなら、 運転マニュアル無視であるので、刑事責任上は不利となることも考えられるが、 犠牲者の数の差は明らかである。

【知識化】
  1. 事故・異常時にマニュアルに盲従するのは危険な場合がある。 機械の運転者は、状況に応じ適切な対処が望まれる。しかし、 パニックに陥っている運転者に冷静に考えて行動しろ、 というのは酷であるが、想定外の不具合に対する応用訓練で克服するしかない。
  2. 事故・異常やその後の復帰までをきちんと考慮したマニュアルの作成が必要である。 いわゆる“仮想演習”で十分検討されたものでなければならない。
  3. 新しいシステムに対して、事故への対応が従来のシステムのベースのままでは危険である。 この事例の場合はトンネルの長さが大きく変化している点に着目しての検討が必要である。
  4. 防災対策改善は、実際に事故が起こらないとなかなか実施されない。
【背景】
   戦後の荒廃と混乱の中から国土の復興と生活水準の回復を図るため、国、 地方を通じて総合開発の機運が高まり、1950年に国土総合開発法が制定された。 その中で北陸トンネルは、北陸本線の電化に合わせて、1957年11月14日に完成した、 複線鉄道用の長大トンネルである。全長は13.87kmで当時世界第6位、 日本第2位の長さであった。このトンネルの完成に合わせて、 連続急勾配を持つ単線非電化の旧線が廃止され、大幅な輸送力の増強がなされた。 その後、大都市圏と地方間における地域間所得格差や過密過疎問題を解決し、 地域間のバランスのとれた発展を図るため、国土開発の長期構想である、 全国総合開発計画(1962年)が策定され、計画の進展とともに長大トンネルの建設は続いた。

【引用文献】
畑村洋太郎編著、実際の設計研究会著:続々・実際の設計、日刊工業新聞社(1996)